近況報告

竹中隆一議員生活30年記念「河内音頭」販売中

2013年5月7日(火)近況報告

この度、祝賀会において河内家菊水丸より発表された

竹中隆一議員生活30年記念「河内音頭」がCDになりました。

定価は2000円です。

ご希望の方は後援会事務所で販売しております。

CDの歌詞と菊水丸師匠の挨拶文は次の通りです。


 

 

河内音頭

『奇跡の人生 竹中隆一物語』

伝統河内音頭継承者

口演 河内家菊水丸

作詞 三条史郎

作曲 河内家菊水丸

瀬戸内海は播磨灘 家島諸島を沖に観て

西の比叡と仰がるる 圓教寺なる書寫山の

麓に広がる播州平野 中に一際悠然と

聳えて立った名城は 日本初の世界遺産

白鷺の城と人の謂う 姫路城下の四郷町

古人の夢宿る 見野で生まれた快男児

竹中隆一市議会議員 初当選から八期に及ぶ

議員生活三十周年 記念音頭の一節を

数多の友人代表し 此処に河内家菊水丸が

竹中隆一半世記

河内家音頭にのせまして一生懸命努めましょう



頃は昭和の二十と九年

播州姫路は四郷町 産声あげた男の子

竹中隆一少年は 三人兄弟次男坊

貧しい家庭の遣り繰りに

朝早くからご両親 近所の皮革工場へ

勤めを終えたその後も 家に帰れば内職仕事

幼い兄弟三人も 家に帰ってお手伝い



やがて隆一少年も 小中学校卒業し

地元の商業高校へ 貧しい家庭に育った彼は

中央市場でアルバイト 学生仲間に人気もあって

生徒会長引き受けて 昭和四十年代の

当時の社会風潮の学生運動リーダーとして

姫路市内で活動するも 学業こそは怠らず

苦学に励む高校生活 奨学金も受けられて

卒業生を代表し卒業証書受け取った



大学進学断念し民間企業に就職し

一年経ったその頃に交通事故で入院をする

その折り見舞いに来てくれた

嘗ての恩師の言葉には


「頑張って勉強して市役所に入ったらどうや、公務員に成って皆の為に働くんや。

そして時間を作って地域を良くする為に運動するんや」


その先生の一言で 唯一心に勉強し

二十歳で市役所職員に その後およそ八年間

仕事は教育委員会 青少年の健全育成

職員仲間に薦められ 組合活動参加して

隆一二十六歳で 職員組合副委員長

その同じ頃地元での社会運動に参加する



積極的に地域に貢献

頭角現す隆一を 若き市政の担い手と

支援者・支持者集まって周りの声は高まれど

我が子の将来心を砕く隆一育てたご両親

折角入った市役所を辞職してまで立候補

見事通れば良いけれど若しも落選した時は

幼い子供やお嫁さん 家族の生活犠牲にすると

選挙の断念促せば 小学教師の妻安美

貴方が落選した時は

私が代わりに働いて支えて見せます

心配せずに 戦い抜きましょう選挙戦

貴方の夢はみんなの夢と

賢婦安美の内助の功が 大きな力となりまして

三十年の第一歩



若さと情熱行動力の指針を示すスローガン

隆一見事に初当選 一ヶ月後に本会議

膝が震えた初質問 議員生活三十年の

秘訣を語る隆一は


「私には、重い障害を持つ身内が居まして、それがきっかけで議員になってから、ずっと障害者の人達と福祉の充実のために働いております。目の見えない方や、耳の不自由な方、話せない方、車椅子の方、そんな人達が必死で選挙の応援をしてくれます。マッサージの仕事で変形した手と握手する度に私は涙が出そうになります。心暖かい障害者の人達の支えが私の誇りです。選挙の一票はみんな平等ですが、もし票の重さを量ることが出来ましたら、私の得票が一番重たいでしょう」


涙ととおもに真情語る 竹中隆一先生の

三十年の長さに亘る 活動成果の一例は

お年寄りやら障害者 バスの優待乗車の制度

近代姫路の誘致から 埋蔵文化センター

防災センター・人権センター 公共施設の設置に加え

誰にも負けないアイデアと実行力が売り物で

古墳を活かした街作り 生まれ育った四郷の町は

年間数万人にも及ぶ 人が集まる愉しい街に

姫路市内のコミュニティ活動最優秀に選ばれる

記憶に残る面白い記録も過去にありました

議長選挙で同点になり 前代未聞の籤引き勝負

この時惜しくも勝ち譲ったが

翌年見事に最年少記録作って議長に就任

議会改革率先実行

三十年の年月は決して愉しいことだけじゃない

四十歳のその時に 悪政リンパ腫発症し

余名二年と診断受ける ガンと闘い七ヶ月

見事病に打ち克って 当選獲得四期の選挙

更に隆一五十歳 十年経ったその時に

大腸ガンに犯される 病の床の隆一の

闘病生活支えてくれた 生まれて間もない初孫や

全快信じる家族の絆 二度の大病克服したる

竹中隆一奇跡の人生



八回連続当選の 得票数も二回目以降

常に上位で獲得し 最高得票八回目

まるで自分のことのよう 喜び分かつ支援者の

嬉し涙は何にも増して 言葉に尽くせぬ感激よ

初の選挙のその時に 貧しい暮らしの人達が

あんたはわれらの代表や 誇りに思うと握手した

手の温もりは忘れられぬ 当選してからご近所の

駄菓子屋さんのお婆さん 見舞いに行ったその折りは

議員になった先生が わざわざ見舞いに来てくれて

本当に嬉しく思います 心置きなく死ねますと

両手を合わしたその姿 しっかと心に刻みつけ

名も無き熱い思いをもった 多くの人に支えられ

市政に臨む意気込みは

議員は私の人生すべて 議員は私の生き甲斐です

益々暮らしや地域の発展頑張っている人達と

手を携えて行くことがそれが私の道標

市議会議員竹中隆一

今後更なる活躍と姫路の発展祈念して

此処に河内家菊水丸が

議員生活三十周年

奇跡の人生竹中隆一物語

音頭で綴った一編はこれにて失礼致します



河内家菊水丸師匠のご挨拶

竹中隆一議員とのお付き合いは、かれこれ20年になります。現在は私の姫路後援会会長として、毎年6月22日に山陽百貨店のキャスパホールで「河内家菊水丸独演会」を開いて下さってます。

昨年末、私は甲状腺癌と診断され、専門病院声帯を失う気管切開を宣告されたのです。あきらめずに、その道の第一人者を探し求めて切開せずに手術を受け、声帯も無事に残りました。病理検査では肉眼的、顕微鏡的にも癌は取り切れたとの診断が出て、復帰するに至ったのです。先生の議員生活30周年を記念したアルバムでありますが、私にとっても復帰後の初のレコーディング作品として、生涯の思い出の一枚となるでしょう。

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